『古代史の海』の会は、1995年に「市民の古代研究会」の分科会として、『古代日本海文化』(創刊号 (1985.9)-10巻4号 (1995.6))を継承して発足しました。
そこで「市民の古代研究会」と『古代日本海文化』継承の経緯について説明します。「市民の古代研究会」はアマチュアによる古代史研究の市民団体で、1977年に「古田武彦を囲む会」として発足、1983年に名称を「市民の古代研究会」に改称し、2002年に解散しました。関西を中心に全国に会員を有し、盛時(1993年)には会員数800名以上を数え、活動として毎月に関東・関西・九州など各地で分科会が、毎年に全国研究集会が行なわれ、講演会や遺跡巡りなどの企画も定期的に開催されていました。また毎月12頁程度の会報『市民の古代ニュース』を郵送、ほぼ毎年で市販雑誌『市民の古代』を発刊していました。
発足時の名称が「古田武彦を囲む会」とあるように、九州王朝説を唱えた古田武彦氏のファンの集いとしてスタート、当初の活動は九州王朝説の発展・啓蒙を主体としていました。しかし九州王朝説への賛同から始まった会も、徐々に会員自身による研究活動が醸成されるに従い、九州王朝説自体も一つの学説として相対的に扱うことが求められ始め、先に述べたように名称が「市民の古代研究会」に改称されます。そして1989年には、発足当初の会則であった「市民の立場から、日本の古代史を古田武彦説を中心として学問的に究明する。」が削除され、新たに「いかなる権力、権威にも盲従せず、歪曲された歴史観を排除し、市民の立場から日本の古代史の真実の姿を公正に研究する。」に改正されました。それに伴い雑誌『市民の古代』も、1988年刊行の第10集までは表紙に副題「古田武彦とともに」が記されていましたが、1989年刊行の第11集からこの副題は削除されました。
そして1994年に「市民の古代研究会」は分裂を迎えました。会員自身による研究が進展し、会員の中に九州王朝説を根本から批判・否定する研究が発表されるようになったのです。関西の分科会の『古事記・日本書紀』を読む会は、1993年11月に論集を発行します( 『古事記・日本書紀』を読む会論集 創刊号 )。その中の秦政明氏の論文「唐代の日本列島関連記事の再検討」によって、会内には「通典ショック」という激震が走りました。九州王朝説は、中国正史と『古事記』『日本書紀』との齟齬を視点の中心に据え、特に『旧唐書』の「倭国」と「日本国」を別国とする記述を最大の論拠に、一世紀の倭奴国から三世紀の邪馬台国を経て七世紀の白村江の敗戦まで、日本列島の正統王朝は畿内のヤマト王権ではなく、それとは別個に九州に存在した「倭国」(倭の五王も九州王朝の王者と認定)であったと提唱するものです。しかし、秦氏の論文は『旧唐書』に先行する『通典』には「倭国」と「日本国」が同一の国と記述されており、九州王朝説の存立自体が疑われると提起したのです。その結果、九州王朝説を擁護する立場の会員と、会則に則り九州王朝説も一つの学説として古代史研究を続けようとする立場の会員との間で対立が生じることとなりました(当時の古田武彦氏が『東日流外三郡誌』に傾倒していて、その真偽に関する論争も加わりましたが、九州王朝説へのスタンスの違いが分裂の主因を占めます)。そして前者が「市民の古代研究会」を離脱、新たに「古田史学の会」などを設立することで決着を見ました。これに関連して、1994年に発刊された『市民の古代』第16集の編集後記には、「本誌は本号より特定の学者の説のみの宣伝・啓蒙するという、過去の偏った編集方針から脱皮した。今後はアマチュアが研究成果を誰はばかることなく発表できる唯一の市販雑誌として、息ながく発刊し続けていきたい。」と結ばれています。当時の内紛の帰結を『市民の古代ニュース』から抜粋します。
分裂後の「市民の古代研究会」の各分科会は、活発に様々な論集の発行を続け、『続日本紀』を読む会論集2(1994年8月)( 表紙 )( 目次 )、 『古事記・日本書紀』を読む会論集 第2集(1994年11月) などが発行されます。このような研究発表が活発な状況下で、年発行の『市民の古代』とは別に定期的な論集発行が議論されていた中、10年40号継続した『古代日本海文化』の休止が伝えられました。そこで編集の白崎昭一郎氏に『古代日本海文化』( 表紙 )( 目次 )の継承を要請したところ了承され、『古代日本海文化』の会員も含め、白崎昭一郎氏を編集顧問として発足したのが本誌『古代史の海』です。当時の史料を以下に挙げます。発足当時の息遣いを受け取っていただけるのではないでしょうか。
しかし、アマチュアによる研究を中心に据えた活動は、研究を中心とする会員と 講演会や遺跡巡りへの参加を中心とした趣味・娯楽としての会員との間に齟齬をきたし、徐々に会員が減少していきました。
そして講演会や遺跡巡りを開催する負担に対し、理事会・事務局のメンバー固定化、マンパワーの不足から活動の維持が困難になり、2002年に「市民の古代研究会」は解散となりました。『古代史の海』第30号(1994年9月)には、「市民の古代研究会」解散の特集が組まれました。
各分科会はそれぞれ独自に活動を続けることになり、「『古代史の海』の会」も以後は独立した会として2020年には第100号を発刊、現在に至ります。
※ 「市民の古代研究会」分裂の主因とあった古田武彦氏の九州王朝説への批判と総括は、『市民の古代』第17集の「九州王朝説をどう考えるか」、第18集の「九州王朝説と考古学の現実」に掲載されています。現在も古田武彦氏の著述は手に取ることが可能ですが、九州王朝説に触れられた方は、是非上記の記事も一読されることを希望します。『市民の古代』は各地の図書館に所蔵されています(例:大阪府立図書館に、8号〜18号(最終巻)の所蔵を確認しました)。